福島第一原発20㎞圏内視察
2018/04/13 (Fri) 21:53
(昨日、視察から帰ってきてすぐにブログをアップしたのですが、一晩経って、ちょっと書き足した部分があります。昨晩はなんだかとても疲れてしまっていました。
往復9時間近くのバスの中でDVDを見ながらパソコンで記録をとり、現地を視察したことで、あの2011年3月11日の大震災 原発事故を改めて感じ、現地に暮らす人たちの苦悩の一部を垣間見、感じたことがありました。ほとんどニュースにもとりあげられることがなくなった福島原発、町がなくなってしまった現実をみなさんたちにも少し見ていただき、考えていただく機会になればと思っています。)
私が1週間に1度お邪魔しているK社の社員さんたちと、「福島第一原発20km圏内視察」に行ってきました。
K社が展開している事業のひとつである「電力事業」。
自然エネルギーである「太陽光発電」の普及に努める彼らの使命をより明確に、社員各自の意識を高めるために7年前に起こった東北大地震による福島県第一原発事故の爪痕を視察してきました。
行き帰りのバスの中では100分程の内容のDVDを見ながら原発についての勉強しました。
圏央道から常磐道へ 浪江町に近づくと放射線量の計測結果が表示される掲示板が出てきました。
ちょっと緊張してしまいました。

浪江役場で現地のガイドさんNPO法人野馬土代表三浦氏が乗車、バスの中で海岸沿いを走り現地の話を聞くことにより復興の現実、実際に被災された方の生の声を聴くことができました。
ブログでは詳細に書くことができませんが、機会がありましたら現状について直接話せる人には話したいと思っています。
写真は、すべて車窓からの写真です。降りることはできませんでした。(役場のところは大丈夫でした)

原発のおかげで立派な建物が建っているという説明でした。

役場には多くの車が止まっていました。
町のメインストリートを通って・・・という説明をされたのですが、人はほとんど住んでいない状態でした。
食事ができるところはラーメン屋さんとお寿司やさんの2件
商店は、プロの人が運営しているのではなく、商工会の人たちが代わりに販売をしていたり、新聞は自分たちで新聞店に取りに行かなくてはいけないのだそうです。(配達はされない)
若い人は戻ってこない、年寄りだけが一部もどってきているとのことでした。
自分たちが住んでいた家が、町がこんな状態になってしまったら・・・。

ゴーストタウンとなった人がいない町 家もずいぶん取り壊されたのだそうです。


荒れ放題

ここから先は放射線量が高く入ることができませんでした。

汚染された土などは、県内各地の仮置場等で保管されています。
町のあちこちにいっぱいです。



道路がずれている部分

避難指示解除の条件というのは
①除染が完了すること
②ライフラインが整うこと
③そこで生活ができて、農業の場合は農業の差異化ができる条件が整うこと とされていたそうです。
そして現実に一部解除された地区を見てみると・・・家の周り20メートルの除染は完了したけれど、ライフラインも整っていない状態解除になっているそうです。
それはなぜか・・・。
ここでそれらのことを書きだすと、とめどなく何かを非難したり矛盾点などをいっぱい書きたくなってしまいます。
この場所では、ただみなさん達にも7年経っても復興などという言葉とは程遠く、原発でなくしてしまったものは大きいということ。そんなことを感じてもらえればと思っています。

DVDを見たりガイドさんの話を聞いたりした中で印象的な言葉がいくつかありました。
ひとつは、この地に来る人は「金もうけが目的の人。」
しかし、現実的にそこで事業が展開できるかというと、色々な条件を照らし合わせて結局撤退していってしまう。ということでした。
原発でこんな大きな事故になったにも限らず、原発がなくならない日本。それはなぜか?
原発は「種」を死に至らしめる。ほかの事故は、「個」の死である。 ということでした。
同じように事故が起きることは悲しいこと、しかし例えば航空機事故はその時だけの個の死である。しかし原発は、決してもとに戻る頃ができない。原因も追究できない。放射能が邪魔をして今でも原因を追究することができていない。誰も責任を取っていない状態。1度でも事故があってはいけないものなのだということである。ということでした。
NPO法人野馬土の三浦さんは、自ら動かなくてはと農業法人を作り農業を再開させたり、かつて自分が住んでいた土地に太陽光発電を設置、尽力されていらっしゃるとのことでした。


2011年3月11日の地震から7年が経ちました。
避難指示は解除になっても帰ることができない人たちがいっぱいいます。
それは、避難指示解除が本当に住めるような状態になったということではないからです。
子供を育てる環境になっていないということです。
私達は、決してこの現実から目をそらすことがないようにしなくてはいけないと思いました。
往復9時間近くのバスの中でDVDを見ながらパソコンで記録をとり、現地を視察したことで、あの2011年3月11日の大震災 原発事故を改めて感じ、現地に暮らす人たちの苦悩の一部を垣間見、感じたことがありました。ほとんどニュースにもとりあげられることがなくなった福島原発、町がなくなってしまった現実をみなさんたちにも少し見ていただき、考えていただく機会になればと思っています。)
私が1週間に1度お邪魔しているK社の社員さんたちと、「福島第一原発20km圏内視察」に行ってきました。
K社が展開している事業のひとつである「電力事業」。
自然エネルギーである「太陽光発電」の普及に努める彼らの使命をより明確に、社員各自の意識を高めるために7年前に起こった東北大地震による福島県第一原発事故の爪痕を視察してきました。
行き帰りのバスの中では100分程の内容のDVDを見ながら原発についての勉強しました。
圏央道から常磐道へ 浪江町に近づくと放射線量の計測結果が表示される掲示板が出てきました。
ちょっと緊張してしまいました。

浪江役場で現地のガイドさんNPO法人野馬土代表三浦氏が乗車、バスの中で海岸沿いを走り現地の話を聞くことにより復興の現実、実際に被災された方の生の声を聴くことができました。
ブログでは詳細に書くことができませんが、機会がありましたら現状について直接話せる人には話したいと思っています。
写真は、すべて車窓からの写真です。降りることはできませんでした。(役場のところは大丈夫でした)

原発のおかげで立派な建物が建っているという説明でした。

役場には多くの車が止まっていました。
町のメインストリートを通って・・・という説明をされたのですが、人はほとんど住んでいない状態でした。
食事ができるところはラーメン屋さんとお寿司やさんの2件
商店は、プロの人が運営しているのではなく、商工会の人たちが代わりに販売をしていたり、新聞は自分たちで新聞店に取りに行かなくてはいけないのだそうです。(配達はされない)
若い人は戻ってこない、年寄りだけが一部もどってきているとのことでした。
自分たちが住んでいた家が、町がこんな状態になってしまったら・・・。

ゴーストタウンとなった人がいない町 家もずいぶん取り壊されたのだそうです。


荒れ放題

ここから先は放射線量が高く入ることができませんでした。

汚染された土などは、県内各地の仮置場等で保管されています。
町のあちこちにいっぱいです。



道路がずれている部分

避難指示解除の条件というのは
①除染が完了すること
②ライフラインが整うこと
③そこで生活ができて、農業の場合は農業の差異化ができる条件が整うこと とされていたそうです。
そして現実に一部解除された地区を見てみると・・・家の周り20メートルの除染は完了したけれど、ライフラインも整っていない状態解除になっているそうです。
それはなぜか・・・。
ここでそれらのことを書きだすと、とめどなく何かを非難したり矛盾点などをいっぱい書きたくなってしまいます。
この場所では、ただみなさん達にも7年経っても復興などという言葉とは程遠く、原発でなくしてしまったものは大きいということ。そんなことを感じてもらえればと思っています。

DVDを見たりガイドさんの話を聞いたりした中で印象的な言葉がいくつかありました。
ひとつは、この地に来る人は「金もうけが目的の人。」
しかし、現実的にそこで事業が展開できるかというと、色々な条件を照らし合わせて結局撤退していってしまう。ということでした。
原発でこんな大きな事故になったにも限らず、原発がなくならない日本。それはなぜか?
原発は「種」を死に至らしめる。ほかの事故は、「個」の死である。 ということでした。
同じように事故が起きることは悲しいこと、しかし例えば航空機事故はその時だけの個の死である。しかし原発は、決してもとに戻る頃ができない。原因も追究できない。放射能が邪魔をして今でも原因を追究することができていない。誰も責任を取っていない状態。1度でも事故があってはいけないものなのだということである。ということでした。
NPO法人野馬土の三浦さんは、自ら動かなくてはと農業法人を作り農業を再開させたり、かつて自分が住んでいた土地に太陽光発電を設置、尽力されていらっしゃるとのことでした。


2011年3月11日の地震から7年が経ちました。
避難指示は解除になっても帰ることができない人たちがいっぱいいます。
それは、避難指示解除が本当に住めるような状態になったということではないからです。
子供を育てる環境になっていないということです。
私達は、決してこの現実から目をそらすことがないようにしなくてはいけないと思いました。
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