その年(歳)にならないとわからないこと
2019/12/17 (Tue) 07:24
電車に乗る時間が長い時は、前日または直前にamazonプライムで映画などをダウンロード。
電車の中で見られるように準備をして出かけます。
そのおかげであっという間に時間が過ぎて行くのですが、昨日は「92歳のパリジェンヌ」という映画を見ました。
この映画は、尊厳死とはなにか。
92歳になる母の死に対しての思いと、その家族の思い。フランスの元首相リオネル・ジョスパンの母の実話を原案にした映画でした。
自分のことが色々とできなくなっていき老いを感じた時、自分で最期の時を決めたいと家族に話をして理解を求めるというもの。
1人暮らしの母親 自分の好きなものに囲まれて すべてのものを誰に譲るか 捨てるか 片づけをして死にたい。
でも子供たちはそれを最初は許そうとしません。家族の葛藤なども上手に描かれていました。
私もできれば自分で自分のものは片づけをして、自分のことができなくなったら最期を迎えたいと思います。
でも実際にはその年齢になった時にどう考えるかは人によって違うということ。
前のブログで父のことを書きました。
仕事人間だった父は、今は特にやることがなく炬燵に入ってテレビを見ている 散歩もあまりしなくなっている状態でした。
このブログを父が読むかもしれませんが、正直私は実家に帰った時に「今年で年賀状は最後にしますって内容を書こうか」と相談するつもりでした。
文章も考えていました。しかし「年賀状をつくらなくちゃ」と電話をかけてきた父の声を聞いて、ちょっと考えなおしました。
実際に相談をしていないので父がどういう反応をするのかはわかりませんが、何かをしなくては、とか何かに求められている と思うと人は行動に移すことができます。
些細なことですが、パソコンの前にも座ることがなかった父が、自分で「やろう」と思ってくれたのだと思います。
今、父がどんな風に考えて毎日を過ごしているのかはわかりませんからね。
周りで色々なことを判断してはいけないなと思いました。
映画の話に戻りますが、この92歳の女性は、自分がオネショをするようになり、おむつをつけなくてはいけなくなり、台所でお湯を沸かしていてもすぐに止められなかったり自分の老いを悲しく感じていました。
人の迷惑になりたくない。30年前から自分の最期は自分で決めたいとずっと言ってきていました。
一方これは友達から聞いた話なのですが、寝たきりのお年寄り。毎日ただ時が過ぎて行くのを待つだけになっている人が、それでも「自分は生きていたい」と話したとか・・・。
たとえ寝たきりになってもその時に考えること感じることは人によって違うということ。
これは男性と女性 性格によっても異なると思いました。
奥さんにお世話をしてもらっている男性は、たとえ他人であっても洋服を着替えさせてもらったりトイレの世話をしてもらっても割とすんなりと受け入れられたりするようです。
一方女性は、施設に入っても数名の人に囲まれて裸にされてお風呂に入れられることなどにすごく抵抗する人が多いとか。
デイサービスに通っている私の叔母も話をしていたのですが、「人間みんな同じものがついているんだから何も恥ずかしがる必要はない」と体を洗ってくれる人が話をして説得をしてくれたのだそうです。
お風呂に自分ではいれなくったら・・・「嫌だ」という気持ちと 「お風呂に入ると気持ちいいよ」 という気持ちがどちらが勝つか といった感じになっていくようです。
90歳100歳まで生きられるようになっている今、元気で人に迷惑をかけずに生きていくにはどうしたらいいか・・・。
どうやったって、最後は自分以外の人の手を借りることになるんですものね。
自分が90歳とかになったときにどんな風に考えるか?
その時にならないとその年(歳)にならないとわかりませんね。
自分たちが子供の頃 50歳を超えたらもうかなり年寄りだと感じていました。
60歳でおじいさんおばあさん。昔いきがい大学だって「老人大学」って言っていました。
それが今では・・・。時代も変わりますね。
電車の中で見られるように準備をして出かけます。
そのおかげであっという間に時間が過ぎて行くのですが、昨日は「92歳のパリジェンヌ」という映画を見ました。
この映画は、尊厳死とはなにか。
92歳になる母の死に対しての思いと、その家族の思い。フランスの元首相リオネル・ジョスパンの母の実話を原案にした映画でした。
自分のことが色々とできなくなっていき老いを感じた時、自分で最期の時を決めたいと家族に話をして理解を求めるというもの。
1人暮らしの母親 自分の好きなものに囲まれて すべてのものを誰に譲るか 捨てるか 片づけをして死にたい。
でも子供たちはそれを最初は許そうとしません。家族の葛藤なども上手に描かれていました。
私もできれば自分で自分のものは片づけをして、自分のことができなくなったら最期を迎えたいと思います。
でも実際にはその年齢になった時にどう考えるかは人によって違うということ。
前のブログで父のことを書きました。
仕事人間だった父は、今は特にやることがなく炬燵に入ってテレビを見ている 散歩もあまりしなくなっている状態でした。
このブログを父が読むかもしれませんが、正直私は実家に帰った時に「今年で年賀状は最後にしますって内容を書こうか」と相談するつもりでした。
文章も考えていました。しかし「年賀状をつくらなくちゃ」と電話をかけてきた父の声を聞いて、ちょっと考えなおしました。
実際に相談をしていないので父がどういう反応をするのかはわかりませんが、何かをしなくては、とか何かに求められている と思うと人は行動に移すことができます。
些細なことですが、パソコンの前にも座ることがなかった父が、自分で「やろう」と思ってくれたのだと思います。
今、父がどんな風に考えて毎日を過ごしているのかはわかりませんからね。
周りで色々なことを判断してはいけないなと思いました。
映画の話に戻りますが、この92歳の女性は、自分がオネショをするようになり、おむつをつけなくてはいけなくなり、台所でお湯を沸かしていてもすぐに止められなかったり自分の老いを悲しく感じていました。
人の迷惑になりたくない。30年前から自分の最期は自分で決めたいとずっと言ってきていました。
一方これは友達から聞いた話なのですが、寝たきりのお年寄り。毎日ただ時が過ぎて行くのを待つだけになっている人が、それでも「自分は生きていたい」と話したとか・・・。
たとえ寝たきりになってもその時に考えること感じることは人によって違うということ。
これは男性と女性 性格によっても異なると思いました。
奥さんにお世話をしてもらっている男性は、たとえ他人であっても洋服を着替えさせてもらったりトイレの世話をしてもらっても割とすんなりと受け入れられたりするようです。
一方女性は、施設に入っても数名の人に囲まれて裸にされてお風呂に入れられることなどにすごく抵抗する人が多いとか。
デイサービスに通っている私の叔母も話をしていたのですが、「人間みんな同じものがついているんだから何も恥ずかしがる必要はない」と体を洗ってくれる人が話をして説得をしてくれたのだそうです。
お風呂に自分ではいれなくったら・・・「嫌だ」という気持ちと 「お風呂に入ると気持ちいいよ」 という気持ちがどちらが勝つか といった感じになっていくようです。
90歳100歳まで生きられるようになっている今、元気で人に迷惑をかけずに生きていくにはどうしたらいいか・・・。
どうやったって、最後は自分以外の人の手を借りることになるんですものね。
自分が90歳とかになったときにどんな風に考えるか?
その時にならないとその年(歳)にならないとわかりませんね。
自分たちが子供の頃 50歳を超えたらもうかなり年寄りだと感じていました。
60歳でおじいさんおばあさん。昔いきがい大学だって「老人大学」って言っていました。
それが今では・・・。時代も変わりますね。
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